器以上に大きくならない
基本的に人間は良い人だと思う。
極一部の人を除いて、それぞれがそれを正義だと思っている。
それまで、自分が正義だと思って、取り組んできたこと。
その思いが強ければ強いほど、それが間違いだったと気が付いた時
それを受け入れる事ができない。
過去の思いが邪魔をして、過去を否定せず、自分に都合の良いように解釈してしまう。
この例がまさに「言い訳」になるのだけども、これを受け入れるのは、本当に辛い。
その辛さを知るならば、言い訳ぐらいさせてあげてと言いたくなる。
だけど、その全否定を受け入れる事で、また一つ器が大きくなる。
過去から現在まで過程を全て消し去って、今あるがままの事実だけを見て
何をすればいいか、冷静に考えればいい。
その答えは、おそらく自分が一番したくないことだと思う。
僕の場合来た道を帰ること。最初からやり直すことだった
それまでの努力が水の泡になると分かった時、無念すぎて受け入れることに拒絶反応が起きる。
だけどね、それを受け入れた先に道があることにも気づけた。
欲望のまま進んでいる時、その先に道があるのか、ないことすら気づけなかった。
欲望は底なしの沼のようなもの。
ひたすら、満たされぬ感情が湧いてくる。
何度も、何度も100回繰り返そうが、満たされない感情こそが欲望。
その欲望の先に道はない。
だから、あるがままを受け入れ、過ちを認め、戻るところは戻る。
納得するまで立ち止まって進めばいいのさ。
相場に参戦する限り、何度でもそのチャンスはある。
過ちを受け入れ、道が見えた今は、自分の殻を破って、飛び出すだけだ。
本気の努力を、生涯で一番頑張ったと思える努力を今するだけなんだ。
自分に挑め